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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

現実と技術の民主国家

 

「週末、彼女とディズニーランドに行ってきた」と疑問符ひとつ心に持たないで話す男にだけはなりたくない。ところが、口と肛門がつながった世界である。食料が肥料となり、肥料が食料になる。シャワー中に垂れ流したおしっこは、ろ過されて、再びシャワーから吹き出してくる。太陽を回る丸い地球、その上で展開される自然の円環。始点は終点である。相手を刺そうと伸ばした剣先が自分の背を貫く。なりたくない、なりたくないと遠ざければ、それだけ知らぬ間に後ろから近づいている。つまり僕は週末、彼女とディズニーランドに行ってきた。


「ぜんぜん行きたくないんでしょ?」
態度は顔に出る。
「高い金払って疲れるだけ。はじめから高級スパにでも行ったほうがまし」
「だったらやめる? イヤイヤ来た感じを出されると、こっちもイヤだから」
そう訊きながらやめるつもりはないのだ。ホテルを予約してチケットまで取ってある。不機嫌になれば、こちらが下手に出ることまで計算ずくなのである。
「せっかくだし行こうよ。イヤがってる人のほうが結局テンション上がって楽しむパターンかもしれないし」
「鎌倉かディズニーで、ディズニーがいいって言ったのはあんただからね。それに今度は前のシーのときみたいに早く帰るつもりないから」

僕は好きでディズニーを選んだわけじゃない。誰だって「ナイフで生きたまま皮を剥がされるか、両脚をつないだ2頭の牛をそれぞれ別方向へ走らせた勢いで股からぱくりと身体を引き裂かれるか。どちらかを選べ」と言われたら、本来は選択じたいを避けたい問題でも「じゃ牛で」と自分の処刑方法を決定できる。牛裂きが好きというより、マシな死にかただと思って選ぶのだ。僕がディズニーと答えたのは、愛らしいキャラクターに会えるからではなく、新幹線に乗る前に、秋葉原ブックオフに寄って帰れると思ったからである。

「早く帰らない」のひとことで出発前から具合が悪くなった。午前8時から午後10時まで、デパートの食料品売場のような息ぐるしい人混みのなか、いつ終わるともしれない列に並び、立ち、待ちつづける。待ったところで温かい豚汁がもらえるでもなし、電気じかけの人形を見たり、箱にのって3分間ぐらぐらと揺られるだけ。2時間待ってパンケーキを食べるのも随分おかしいが、1時間並んで怪物めがけて懐中電灯の光を当てる(モンスターズ・インク)というのは、いったい何事か。それなら乾いたゲロを道からぱりぱりと器用に剥がしてついばむカラスの食事をみるほうが、まだ楽しいアトラクションである。徒労ということばに形を与えるなら、ディズニーランドとそっくり同じものが出来上がるのではないか。ニヤニヤしていると、
「変なこと考えてるのは知ってる。いいから次いくよ」
と急かされる。表情ひとつで思いが伝わるなら、毎回ブログに顔写真を1枚載せて更新の代わりにしたいくらいである。顔面が文面よりまずいから文章を選んだだけのこと。イケメンに生まれたら、多くの女子読者を抱えるファッションブログを運営していたはずだ。現実はいつだって厳しい。

 

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高橋ヨシキの『暗黒ディズニー入門』を持参して、ディズニーランドの門をくぐった。汚い負けかたである。お父さんたちは、嫁と子どものために休日返上でくだらないままごとに付き合ってやっているという嫌気ひとつ顔に出さず、自分を殺して家族のカバン掛けになっている。僕も家庭があれば諦めがつくのかもしれないが、まだ身軽のうちは、ディズニーランドで遊ぶことの違和感、世界になじむことへの抵抗を大切にしたい。反抗とは、もっとも簡単な主体性の確立である。ヤンキーは、校則や法律に顔をそむけ、社会に対して自己を打ち立てる。暴走族のバリバリという音は青春を踏みつぶす音ではない。踏つぶされた彼らがもとに戻る音である。僕はディズニーランドにNOと言うことで自分の立場を明らかにしたい。

ゲーテは「すぐれたものを認めないことこそ野蛮である」と言った。僕は野蛮人か? ちがう。僕だってディズニーランドの素晴らしさを認める。それはアルバイト従業員にまで浸透したホスピタリティ精神、パフォーマンスの質の高さ、場内の徹底した衛生管理などではなく、帰り際、夢と魔法の王国の国事でへとへとに疲れた身体で見上げる退場門、つまり元いた世界の入場門をくぐるとき、実は現実こそが最高のアトラクションだったのだと気付かせてくれる点である。
暗い人波がずるずると出口へ向かう流れのなかで、
「ずっとこれに乗りたかったんだ」と言うと、
「え、もう帰るよ? なに、どういうこと?」
と不思議そうな顔をしていた。僕は話さなかった。まさかディズニーランドのもっとも楽しいスポットが、敷地の外にあったとは言えなかったのである。

 

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トリ博士求む

 

公園のベンチが好きだ。ほかに座る場所がないから好きにならざるを得ない。幼い頃なら、なんでもない建物の囲い、ブロック塀、階段、歩道と車道の段差にも平気で腰を下ろせたが、いまではズボンを汚す、不審者に見られるというので、はじめから座るために作られた場所にしか座れない。

都会に出ると苦労する。座るために400円のコーヒーが要る。買っても座れないことがあるから油断できない。百貨店の休憩スペースでは、おじさんが一人がけのソファに首もとまで埋まり、死んだように眠る。彼らが起きるところを見逃さぬよう、そばの家具屋に入って、デザイナーズチェアを転々とする。鳥の巣を縦にして空中に浮かべたようなイスがある。藤で編んだやさしい楕円を鉄柱から鎖で吊るしているのだ。腰かけようと巣を覗き込んだら、とさか頭の痩せた男が口を開けて、内壁に寄りかかるようにして眠っていた。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

近くの公園でいつも文庫本を読んでいるホームレスのおじさんがいる。開いたページを顔に張りつけんばかりにして読む。目が悪いのか、紙面の外で展開される現実世界の運動を目にしたくないのか。背もたれに身体を預けず、背すじを張って読むところなど、いち読書好きとして敬意すら覚える。僕の読む姿勢といえば、買ってすぐ乗らなくなったバランスボールの空気を抜いてべこべこにへこませたものをクッション代わりに、でんともたれて足を組み、ジャズを大音量でかけて、そばにはチューハイ。ラウンジでホステスのあらわな肩に手を回すいやらしさで高名な書物に手をかける。著者が偉ければ偉いだけ愉快だ。難しい本は酔っていないと理解できない。アルコールでめろめろの頭で開く本に、

第二章 意識現象が唯一の実在である

なんて文章を読んだらブッ飛んでしまう西田幾多郎善の研究』)。酒と哲学書のちゃんぽんでラリる男とくらべると、木陰でしずかに書物をひもとくおじさんには、その弊衣蓬髪、ちぢれて胸元まで垂れさがるあごひげも手伝って、大学者の気風が漂う。毎日の読書量から推せば、大学教授も顔負けの知識を蓄えているはずだ。それを披露する機会と技能がないだけである。問題はなにを読んでいるかだ。そもそも彼は本を読んでいるのか? 日よけとして利用しているだけかもしれない。じっと観察すると、ページを一向に繰らない。まさかと思って顔をのぞくと、目をつぶって心地よさそうに眠っている。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

放置自転車にうるさい大阪では、駅前に長時間、撤去の心配なく自転車を停めようと思ったら、月極か時間制の有料駐輪場を使うしかない。そこで重宝するのが、パチンコ屋である。駅から2分の好立地で利用料はタダ。しかし、このタダがくせものなのだ。用事を済ませて自転車を取りに戻るとき、ちょっと打ってみるか、という気になる。来るときにはあれだけ軽快に滑った自転車も、帰りはずっと6段目のギアで走るように重たい。駐輪代に2万かかったのである。

その駐輪場でいつも見る原付バイクがある。十数年前の古い型で、外装のプラスチックは劣化して黒がまっ白に、破れたシートはスポンジがえぐれてカビがわき、右のミラーはあらぬ方向へ曲がり、左は折れて姿がない。エンジンではなく気力で走っているようなバイクである。卒業式の担任のはなしを思い出す。「ミツバチは身体の成り立ちからすると本来は飛べないのだが、実際には飛んでいる。飛べないことを知らないからである。君たちはこれから夢にむかって羽ばたいていくが、『できない』と思わずにチャレンジすることが大切だ」。そのミツバチを思わせるバイクである。走らないことを知らないから走っている。死んだことに気づかず、体は生き続けるということは人間でも起こる。話は変わるが、10年の昏睡から奇跡的に目覚めた男は、のちのインタビューで、周囲の音がすべて聞こえていたと語った。母が耳もとで「お前を殺してやりたい」とささやいたこともすべて。嫌いな奴が倒れても、見舞いでうっかり悪口も言えない。

ハンドル下の収納ポケットに、ぞうきん、軍手、ソーセージを剥いたオレンジのビニール、空きカンでつくった即席灰皿、はだかの文庫本が突っ込んである。濡れたり乾いたりの繰り返しで、ほうきみたいに広がった本だ。感動を覚えるのは、本の地位である。持ち主はきっと開店までの15分、退屈しのぎにこれを読む。用が済んだら軍手と同じ扱いだ。読書で人生を変えるとか何とか息巻いている連中に見せてやりたい光景である。近づいて背表紙をみると、近代の日本文学だった。作家も作品も忘れたが、パチンコ屋の駐輪場ではまずお目にかかれない高級な名前だ。文学的でありたいとのぞむ世間知らずの文学青年、また、いきおくれの文学中年に見せてやりたい光景である。ここではパチンコ屋の待ち時間をつぶす役にしか立たないのだから。小説好きの男は、読む物語ほど自分の人生が劇的でないことに悲しむ。彼が無趣味無教養だと蔑む人々のほうが、じつは立派に主人公らしい生活を送っているものだ。連日ボロで店まで乗りつけ、日がな鉄球の落下を見つめるおじさんは、バイクのポケットに挿さる文学より、よっぽど興味をそそる人物ではないか。

 

 

f:id:gmor:20170409175803j:imageベンチで鳥と相席した。
僕のとなりに座ってくれるのは鳥だけだ。

 

f:id:gmor:20170409175751j:image鳥と呼ぶのも忍びない。名前が知りたいと思って野鳥図鑑を買った。探したが、それらしい鳥が見つからない。載ってないのか、僕の見方が悪いのか。

 

f:id:gmor:20170409175807j:imageわかる人いたら教えてください!

 

 

『週刊 ブログの更新頻度』創刊

 

食べたら、吐いちゃえばいいのよ。母はダイエットに苦しむ娘に言う。少女は、食事のたびにのどを指で突いた。ファッションモデルのようなウエストを手に入れたあとでも、食べ吐きは止まず、まともな生活を送れない身体になってしまった。そんな話を聞いたことがある。僕も悪魔のささやきを聞いた。
「書いたら、あげちゃえばいいのよ」

便所に入って下書き用紙を床に置き、口を開けてのど奥にペンを挿す。消毒液のついた茶色い綿棒を押しつけられた時みたいに、げっと吐き気のするだけで、原稿は進まない。
「バカ。人の話をちゃんと聞け。今年の夏は腰巻きひとつまとわない強気の水着姿で勝負したいってがらじゃないだろう。更新頻度を上げたいんだな?」
「したいことはあります。宝くじを当てたい。きれいな女と寝たい。スポーツカーに乗りたい。ガラス瓶にさきイカみたいな木の枝を挿したアロマディフューザーが欲しい。冷たい床を裸足で歩くのが嫌だから、室内履きのスリッパも欲しい。ブログ更新はまだその先です」
「お前は欲望のスケールが一貫しないね。いいか、宝くじは買って当てるより、当たった奴をなにして盗んだほうが早い。女は手頃な奴を引っ張ってきて、顔にプリントしたアイドルの写真を張りつけろ。車は1000馬力のスーパーカーも、軽自動車と同じ信号につかまり、同じオービスに撮られ、同じ渋滞にはまる。中古車にマジックで"sport"と書けばいい。お前はアロマを語る顔じゃない。拾った空きカンに枯れ枝で十分だ。スリッパが欲しい? 歩いて移動できるだけの床面積もない家に住むくせに贅沢いうな。くつ下でも履いてろ」
「はあ」
「更新頻度はすぐ上がる。頃合いで書くのをやめて公開し、続きを次回の記事にまわせば数を水増しできる。毎週少しずつパーツを集める分冊雑誌みたいなものだ。お前は中学の頃、創刊号の安値につられて、自走するお掃除ロボに手を出し、3週目で早くも小遣いが尽きて、手元にのこったプラスチックの台座だけをしかたなく床で滑らせて遊んだな。忌ま忌ましい記憶だろう。その失敗を生かすときが来たのだ。この世界じゃ、更新しないと死んだも同然だからな。食べ吐きの結果、内容がガリガリに痩せ細っても気にするな。時代は軽さ、真剣でないことに価値を置く。いまさら便意をこらえた顔で、人生とは、幸福とは、自分とはなにかを語っても流行らない。そんなことは宗教家、哲学者、非モテの中二、スピリチュアル好きの主婦に任せておけばよい。お前の仕事は、お前であることだ。西田幾多郎も言うではないか、

善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。
善の研究

なにを言ってるか分からんが、有名人の言葉はありがたく聞くものである。自分の発言に箔をつけるために古典は存在する。宮内庁御用達とつけたカステラを売るために、皇族が存在しているようなものだ。お前の仕事は、お前の苦悩、反省、疑念を含め、お前の思うところを思うになりに書くことである」
「僕の思うところは4文字で済みます」
「なんだ?」
「ここに書いてもいいんですか?」
「もちろん」
「やめておきます。いくら好きだとはいえ、街で落書きを見たときには、ギョッとしますからね。とくにカタカナのやつが」
「実物のほうがゾッとするよ。愛とは、欠けたる者が元の全き状態に還らんとする情である、というプラトンの説を引くと、女がケーキを愛する理由もよくわかる。一方は、ぶっきらぼうな無地の紙箱をあけると、ふわふわしたスポンジにかわいらしいイチゴがちょこんと座った白亜の宮殿が出てくる。もう一方は、ホイップクリームを思わせる色かたちで事前の雰囲気を高めるが、いざ包みをほどいてみると、もわっと煙りの立ち込めるガード下のホルモン焼肉屋である。あれは文字でみるほうがよっぽど綺麗だ。あれよりほかに言葉の抽象作用というものに感謝を覚えることはない」
「そうですか? 僕なんかは毎号パーツを集めて家に置きたいくらいですよ。創刊号は恥丘がついて590円」
「買った! いや、待った。これがお前の書きたいことなのか?」
「まさか。下ネタは嫌いです。読者の哀感と猥褻感とに訴えることが文章技術のもっとも低級なものである、と三島由紀夫か誰かが言ってましたよ。まわりを見てください。テレビには感動だけ、ネットにはエロか、感動的なエロしかありません。僕はそのどれでもないところを狙っています。書きたいことは山とある。それこそヴィーナスの丘のように」
「その書きたいことっていうのは何なんだ?」
「それは次号のお楽しみ」

 

 

 

今週号のパーツ

アマゾン川

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