占いを頼るしかない

 

どうも、ミチオ・キララムカイです。

書店へ行っても、これは、と思う本に出会いません。理想の相手を見つけるために婚活サービスを使う未婚者のように、大手の書評サイト、個人ブログ、書店のツイートをチェックしますが、こちらのいびつな心の、ひねた興味のかたちにしっくり組み合ってくれる本は出てきません。条件が厳しすぎるのかしら、と妥協して再検索すると、掴むのはやはり駄本ばかり。ついこの間まで「私たちの運命の糸は切れちゃったのよ」と冗談言い合っていたエリコでさえ、今では素敵な本といい関係だって言うじゃない。もう、いやになっちゃうわ。こうなったら占いにでも、頼るしかないみたいね……

 

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星占いで本を紹介するコーナーがあった。
いて座なのでいて座をみる。(ほかの星座の人ごめんなさい。なんでこういうとき、全体を撮らないかなー。僕をみかけたら手頃な石をぶつけてください。)

 

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うっ、ビミョーだ。

どうせ読むなら、自分と正反対の人間の書いたものが、おもしろいはず。ここで最も反発力を感じるのは、ナオト・インティライミだ。目に見えて陽気な人柄、前向き思考、すべての人間を同胞ととらえる社交性、心に訴える歌、歌声。インティライミは「太陽の祭り」を意味するケチュア語だそうだが、それでいくと僕は「月の労働」すなわち、ミチオ・キララムカイ(killa llamk'ay)である。音楽会の練習で「お前だけ音程がズレている」と注意され、当日ひとりだけ握ってふるわす小ぶりなすずを持たされた人間とは、生まれた銀河が別なのだ。

 

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買う。

文庫で500ページ。好きな作家の紀行だって、4枚切り食パンの厚さでは読む気が失せるのに、文豪でもない一般人の旅日記ともなると、まさに苦行の旅である。「千里の道も一歩から」に代表される努力礼賛、ひたむき、地道の修行修練、同じ字をひたすら書き写す漢字ドリル式の進行が大嫌いな僕は、当然この本も(まじめに)読んでいない。

”「地球」というものを感じたい”

ナオトはそう言って旅に出る。男と生まれたからには、そんなスケールで生きてみたいものだ。僕は「自分」を感じるだけで精一杯である。自分の体調はどうだ。心情はどうだ。自分は何者で、何を欲し、何を為すべきか。存在の意味は、意義は、目的は。確証の出土を求めて、荒れ地にスコップを入れる毎日だ。無為の労働が拷問となるように、色の悪い疲労がどろどろ溜まっていく。

いい記事は足で書くと言う。「自分」のミクロコスモスから出ようとせず、バイト先とパチンコ屋を往復するだけのミニマムスケールの男が、自室の机上で手ばかり動かして書き上げたこんな記事を読むより、ナオトの本を読んだほうがいい。

ただ煽るわけじゃないが、28ヵ国も巡れば、俺のほうがおもしろいものを書く自信がある。じゃあやってみろ、と言われたら、金が、時間が、パスポートが、家の枕じゃないと寝れないし、汚い食器で飯を食うのもご免、重い荷物を持って歩きたくない、ウォシュレットがないとダメ、朝は温かいコーヒーとチョコレートで目覚めたい、とぶつくさ言い訳を並べるしかないのだが。20代のうちに金貯めて日本一周でもすっかな。いや、まずは大阪一周から。いや、町内一周から……。

 

 

われはいかにして人間ナプキンとなりしか

 

ビジネスツインは妙である。

凹字に広がった部屋で、真ん中にはでんと共用のユニットバスがある。左右の小部屋に一人用のベッド、エアコン、テレビ、照明、冷蔵庫をひとつずつ、鏡に映したように配した妙な造りだ。並んで寝るのは嫌だが、同じ部屋で一夜を明かすのは許せる。そんな人間と使う。相手が異性となると、関係はさらに微妙だ。そこへ、別れた彼女と泊まった。

会ってすぐ、
「実は、お知らせがあるんだけど」
と言われて、僕はピンと来た。
「生理になっちゃった」
やっぱりだ。家に帰ってボートレースの中継でも見るほうがマシだと思ったが、口には出さない。
「そうなんだ。大丈夫?」
もちろん彼女のほうでも僕が帰りたいと思っていることぐらい分っている。だから事前に伝えなかった。それなら日を改めよう、と言われぬために、直前になって切り出したのだ。理由はほかにもある。
「大丈夫。ごめんね。でも私達ってそういう関係だけじゃないでしょ」
彼女にとっては、行為なしで一緒にいる、ということが、模造の真珠とそうでない本物を分ける、輝きの違いらしい。
「もちろん」
残念だが、僕は宝石の真贋に興味はない。

久しぶりに会ったのにできねえのかよ。なんで俺はこんな女を連れて歩いてんだ。いや、これこそ、きみがあこがれる高潔な人間の高潔な交際というものだ。バカ言え、扉の開かないビルに建物の用があるものか。それに高潔ぶった奴くらいゾッとする俗物はいないんだ。諸君、それは焼き肉である。きみはまじめに振るまうことで自尊心を満足させてきた。女をモノでなく精神として扱うことは、きみが性欲一本槍の人間でないと証明するまたとない機会だ。焼き肉はひと口目がうまい、それと同じで、たまの初回がもっとも感じるものである。俺は女をモノとして見ちゃいない。女の精神とは、その身体なのだ。老化は鈍化、日よけの傘に手袋が、教養を磨く学びというわけさ。俺は身体のなかで唯一まともな、そして純な精神を保つ臓器で、脳と対置された偽りなき神経の突出で、女の教養を吸い出したい。しかし3皿目には飽きがくる。最後は茶色のガムを噛んでいるようなものだ。素直じゃないね。きみが三日三晩女と一緒にいてなにを思うか教えてやろう。「もう勉強はいやだ」。それでも女はペンを握らせる。最後は血で字を書く思いさ。終われば女は冷静で、服の値段を見るようにゴムの先っぽを手に受けてためつすがめつ、「昨日より少ないね、気持ちよくなかったんだ」と分析する。そんなことないよ、と否定しても、一方の精神は純だから、嘘がつけない。きみはあわれな奴隷だ。ワギナの前であくせく働く奴隷なのだ。ときどき街で見るだろう。男の股間から伸びた透明な縄を。その縄をたずさえて、まるで飼い犬みたいに男を引っ張って歩く女を。きみの金玉も見えない縄で縛られて、あの女に引っ張られているのさ。知るか。操られるなら、操られるがままだ――先導されて、ホテルに着いた。

童貞の頃、自動車教習所の教官が教えてくれたことがある。
「ほら、ここ見てみ」
座席に黒いしみがあった。
「さっき乗った子がな、急にその、なりよってな。ちょっと汚れたあんねん。あの、女の血というのは、臭いからな」
僕の顔をみて、
「まだ君には分からんやろけど」
僕はこれから自分が座るシートを汚されたことより、童貞と見くびられたことに怒っていた。事実、女の子の手の感触も知らなかったが、さも経験ありなんという顔をして仲間内でもバレずに通っていると思っていたのである。免許をとって一年後だ。タオルを敷けばどうにかなる、と言う女から抜き取った、うすく赤みを帯びた指の、爪のあいだのしみのにおいを嗅いだのは。

「臭いからダメ。嗅いだことないでしょ。なんか普通の血のにおいじゃないんだよね、老廃物というか排泄物みたいな感じ。だから触んないで。パンツの上からならいいけど」
冷えて固まったカイロの感触がする。
「気持ちよくないんだけど」
だから初めから直接式でいこうと言ったのに、手間のかかる奴である。僕は無言で下着に手をいれ、彼女は無抵抗で応じる。部屋に上がるのはまずいので、玄関のドア・ノッカーの鉄の輪を、掴むでもなく掴み、叩きもせず叩く。耳を当てて中の様子をうかがうと、声がする。安いビジネスホテルに獣の言葉が満ちている。引き抜いた指を鼻へ近づけようとすると、さっきまでの興奮と自失が嘘のように、白昼光の冷静をとり戻した彼女が素早く起き上がって手首をつかみ、
「ダメダメ。洗ってきて。きたないから」
蛇口をひらき、水にさらす。その前に、指のにおいを確かめる顔が、洗面台の鏡に映った。パンを盗み食いする店員はこういう顔をしている。

射精がない。死がない。舟の行き着く岸がない。物理的な終局がないというのは、生きる地獄である。ヒーロー戦隊は最後に合体するが、僕らには完成がない。オーブンが壊れても生地をこねるしかないあわれなパン職人のように、舌で舌を練る。座ってキスし、立ってキスし、部屋を変えてキスし、宿泊客が歩く廊下のすぐ裏でドアの覗き穴を片目に見ながらキスし、洗面台でキスし浴槽でキスし、場所がなくなると、ベッドに戻ってまた寝ながらキスをする。のどが乾いたら水を飲み、飲んだ水を口移しにして、移し返される。口を通ったなまあたたかい水には甘美な催吐性がある。 吐き気をこらえて飲み、飲み切らない余りをまた移し返す。水だかだ液だか、相手の口だか自分の口だか分らない。近づいても交わらぬ漸近線の遊びにも、形式的な終わりはある。彼女が訊く。
「口か手だったら、どっちがいい」
難問である。哲学者は、愛人の質問に答えるために、アウフヘーベンという方法を思いついた。僕も両方と答える。ずるい笑みを見て、目を閉じる。あとは口とも手とも区別がつかない粘膜の海岸線で、パンが焼けるのを待つ。

余韻を突いて彼女が顔を寄せて訊いた。
「ねえ、私たちってセフレなの」
また難問である。そんな言葉ではこぼれ落ちる、もっと豊かな何かだと思いたいが、やっていることを見れば、そうだ。犯行の自覚はない。しかし状況証拠は犯人だと教える。黙っていると、
「ずるいよね、××ちゃんは」
と言って話題を変えてしまう。関係をはっきりさせたいが、答えは聞きたくないのだ。僕がどう返事するのか、彼女はすでに知っている。

別れの時。恋人ならハグやキスもするだろうが、僕たちは友人だから友人として離れねばならぬ。しかしただの友人でもない。手を握って、また、と言ったきり、振り返らず、去るのである。

 

 

才能のない人間だけが、ネタ切れを嘆く

 

どうも、かたむきみちおです。

労働が肉体を彫刻する。というのは、腰がくの字に折れた農家、びん底メガネの学者、シャリのかたちに指の曲がった寿司屋、塩化ビニルの人形みたいなAV男優を見ればよく分ることです。人が外部へと、つまり広い意味での自然にたいして、どう働きかけているのか。その反作用が鋳型となって、人体をかたち作ります。工事現場のおじさんが、暑いなか、長袖のジャンパーを着ています。ワンサイズ小さいせいか、服がパンパンになっていました。僕はいや、日々の過酷な労働が彼の肉体を鍛えたのだ、と気付きました。顔の肉が落ちて骸骨のかたちに皮が張りついただけになった老年の作業員ですら、ボディビルダーのようにぶ厚い胸板で鉄パイプを運搬しています。そのちぐはぐさがおかしいと思って見ていると、炎天下の作業用に作られた送風機つきの上着を着ていただけでした。

・・・

さて今回は『映画と恋とウディ・アレン』というドキュメンタリー映画から創作のヒントを学びます。

私たちはウディ・アレンではありません。あなたが黒ぶちメガネのハゲたユダヤ人である可能性はありますが、免許証にアレン・スチュアート・コニグスバーグと記載がない場合、あなたはウディ・アレンではありません。高校生のとき、コメディアンや新聞社に自作のジョークを売りつけて、すでに両親より稼いでいた男とはそもそも資質が違うのです。『天才たちの日課』という本がありますが、そんなものをまねても天才になれないし、天才になろうという発想じたいが凡人の証明です。世田谷ベースにあこがれた中年会社員が、アメカジに手を出し、米国製のビンテージ雑貨を集めても、所ジョージにはなれません。皮膚にまで染み込んだサラリーマンのモラルのうえに、趣味が遊びが模様として滑っていく様子に哀感をみるだけです。だからウディ・アレンのまねをしたって意味がありません。それでもそとづらを似せれば、いつか本物になれるかもしれない、と信じることに救いがあるわけです。

ドイツの老人ホームでは、脱走しようとする認知症の入所者を集めるために、ニセモノのバス停が用意されています。職員はこれで脱出願望を持つ入所者を検出できるし、逃げ出そうとした場合には一網打尽にできる。一方、老人には車も自転車もなく、足も弱っておぼつかず、頼るべき身寄りもおらず、脱出の機会をバスにかけるしかない。逃げても逃げても敵の手中、というのはおぞましい話ですが、老人にとっては一生来ないバスを待つあいだ、ここから抜け出せるのだと思えること、それ自体が一種の救いになっているとも言えます。問題は老人ホームを成人ホーム、小人ホームへと拡張したとき、そこにニセのバス停はあるか、ということです。中年の危機に陥った男は世田谷ベースで、人生の落伍者は成功指南書で、凡才は『天才たちの日課』で各自のバスを待ちます。そういうものの延長に、僕にとってのウディ・アレンもあるということです。

多作家の彼は「そんなに撮ったら、もう題材がないだろう」と言われた際に「映画のアイデアは無限にある」と答えました。この姿勢です。才能のない人間だけが、ネタ切れを嘆くのだと思い知りました。彼がすごいのは、実際にアイデアが無数にあることです。ベッドサイドのテーブルに、思いつきをメモしたイエローのリーガルパッド、ホテルの便せんが山と詰め込んであります。映画の脚本を練るときは紙束をベッドにぶちまけて一枚ずつ目を通し「これは違う、これはいける」と選びます。

これをみて外山滋比古『思考の整理学』を思い出しました。たとえば、メモを溜め込むことは「アイディアと素材さえあれば、すぐ発酵するか、ビールができるのか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。…”寝させる”のである」に相当するアイデア醸造の過程であり、ベッドでの読み比べは「(テーマが)ひとつだけだと、見つめたナベのようになる。…テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる」にあたる主題発見のプロセスです。僕はウディ・アレンの脚本づくりに、シンプルで強力な、知的生産の方法をみて感動しました。

 

僕は普段からめったにメモをとりませんが、早速、机の一番上のひきだしを「アレン・ボックス」と名付け、日々の思いつきを書き溜めることにしました。

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そうやって出来たのがこの記事です。

残念ながら、これで僕のアレン・ボックスは空になってしまいました。ネタ切れなのでこれ以上は書けません。