日本人の言語表現

きょうは、金田一春彦の『日本人の言語表現』(講談社現代新書)をレビューしていきたいと思います。

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早速15ページに、
日本人の言語生活の特色として、まず第一に注意すべきことは、話さないこと、書かないことをよしとする精神がある」という話がでてきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わります。

ハゲの散髪 ヅラの小説

 

3ヵ月ぶりに散髪してきました。

駅前の1000円カットです。沈黙のなか同じ姿勢で動かずにいると、息がつまって冷や汗が出ます。よそゆきの白けた顔で鏡に向かう自分と目が合って困ります。今朝、洗面台でみた顔とはうってかわってブサイクなつらをしているからです。現実を見ないように閉じた目を、そっと開くたび、パラパラ漫画みたいに髪型がおかしくなっていきます。

前髪が薄くなりました。このままハゲゆくだろう未来図が完全に読みとれます。となりのおじさんは、地肌の侵攻が頭頂部はおろか後頭部にまで達し、わずかに残された髪の毛が、洗い忘れたシャンプーのように耳うらにへばりついています。はた目には散髪の必要を感じませんが、本人からするとボーボーのようです。頭髪に絶対的な基準を持ち込むな。量や長さにかかわらず、伸びたか伸びていないかは自分が決めるんだ。ケープの下でおじさんが拳を握り、熱く訴えかけたような気がします。

 

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Amazonで注文した本が届きました。

写真を撮ってアップするだけのラクな更新で記事数を稼ぎたいのですが、買ってばかりで全然読んでねーじゃねえか、とずばり真相に切り込まれると厄介なので、たまには感想を書きます。

ビートたけしの『アナログ』です。

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アウトレイジ最終章』の公開時、いろんな雑誌にインタビューが載りました。そのなかで「過去の小説はゴーストライターを使ったが、今回は自分でノートに手書きした」と話していて、ビートたけしってどんな文章書くんだろう? と気になり、買いました。

 

説明過剰

衝撃は53ページにやってきます。

そういう付き合い方も面白いな。今どき何でも手軽に連絡を取り合う人間関係、それじゃ悩んだり心配したり、心の葛藤がない。時代に逆らうようなアナログな付き合い方、それが本当の恋愛かもしれない

登場人物のひとりが、小説のテーマを丸々セリフで喋ってしまいます。だったらこの先読む必要なくね? それを言わずに伝えるのが物語じゃねーのかよ! カメが走る前に「慢心は破滅を招く。一歩一歩、着実に前進することが競争に勝つ秘訣さ」と語れば、ウサギが勝ってしまいます。

「映画なら一瞬ですむ状況説明が、小説だと何行もかかるから苦労した」と話していますが、いくらなんでも説明し過ぎです。映像の技術が、何を撮って何を撮らないかという取捨選択であるように、文章にも省略と強調の技があります。ビートたけしの例をみると、一方の才能がそのまま他方に生かされることは、どうやらないようです。「はじめに映画のプロットとして考えていたものを小説化した」と言う通り、いつどこで誰がどうして何が起こった、という展開のメモが淡々と行われるだけで、恋愛小説らしい複雑な心理描写はほとんどありません。読み返すほどなにか訴えるものがあったかと訊かれたら正直微妙です。

 

デジタルライフ

小説の作り方は? という質問に「映画と同じで、最後の決め画がなんとなく頭のなかにあって、あとはどういう風にそこまで持っていくかを逆算してストーリーを作る」と語っていました。

この小説のラストシーンはそれだけみると綺麗かもしれませんが、経緯をたどってきた身からすると不気味です。ネタバレになるので詳しく書けませんが、僕はこの物語の結末に、モノ化した女をそばに置くデジタルライフの気味悪さを見ました。モノ化したと言うのは、単一の機能だけが取り出されたという意味です。膣を外部化したTENGA、かわいさを抽象したフィギュア、ドール。僕たちは女性を部分的に模倣した信号にとり囲まれています。それを生身の人間を使って表現したような終わり方は、魚のすり身をカニに似せて成形したカニカマを、本物のカニを使って再現したような、病的なねじれを感じさせます。

 

お笑い

ピース又吉の作品を読んで、ああいう文学的な表現はできないと思った。だから文章はシンプルにして、漫才や落語のエッセンスをとり入れた、と語るように、この小説では登場人物の掛け合いが、物語から浮き出して作品の雰囲気を壊しかねないほど独立した完成度と面白さを持っています。

僕が爆笑したのは、ヅラのおやじを馬鹿にするくだり、

「最初は頭に振りかけるものを使ってたんだけど、あれは少し毛がないと駄目らしいんだ。女にアンコ玉みたいって言われて、すぐにカツラ屋に注文したんだって。『どうせそのうち新しいのが出るだろうから、安い物にしたんだけど、わりかしいいだろ』なんて言うんだよ。安物すぎるよ馬鹿野郎、このケチ男と思ったけど、またもめるのが嫌だから、『キダ・タローさんみたいで全然分かりません』と言ったら、本人納得しちゃって、『そうか、科学の進歩はすごいな~』なんで、ワケ分かんないこと言ってたぜ」
「俺もこの間、焼き肉屋でカツラのおやじを見つけたんだ。そいつ見てたら、焼き肉の煙がおでこの下から入って後頭部から出てくるんだ。そいつを無煙ロースター頭って名付けてやった」

まじめな恋愛小説では絶対交わされないだろう会話です。こうしたやりとりがえんえんと続く荒唐無稽な小説を読んでみたくなりました。

 

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人間はアナログの極致だ、と考える人がいるかもしれませんが、その中枢である脳、その脳を構成する神経細胞は、ある入力にたいして発火するかしないか、という01の関係でつながっています。コンピュータを脳の外部化と言うのは単なる比喩ではないのです。デジタルとアナログの対比は見かけほど単純ではありません。

「アナログな付き合い方が本当の恋愛だ」と言うのは、まさに二極化したデジタル思考の結果だと思います。いつでも連絡のとれる付き合いだからこそ、いらない心の葛藤も増えるということを、らくらくホンのおじいちゃんは知りません。平安貴族の恋愛を見てください。ああ今日も貴方は来なかったのね、月夜にひとり枕の片側をあけて寝ますわ、と実にのん気なものです。いまなら枕もとでスマホのバイブが鳴りまくります。しかしそれが現代的な恋愛の情緒なのです。

ふたりで部屋にいるときは堂々と素っ裸で歩きまわる彼女が、ビデオ通話で「おっぱい見せて」と頼むと、嫌な顔をするのはなぜでしょうか。そこにデジタル/アナログ恋愛論の最大のテーマがあると、僕は睨んでいます。