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おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

ミチオ君のゲージツ発表会

 

 

思えば古本のカバーは不思議だ。捨てられてもいいはずのものが、なぜか残っている。本の発行年度が古いほど、おもての擦れ、シミ、破れ、ヌレ、汚れがひどくなる。僕は傷んだカバーが嫌なので買ったそばから捨てるようにしている。中古でもカバーを外せば、ほとんど新品の手ざわりだ。古くてダサい装丁は見ないですむし、股間を掻きむしるインキンタムシの前任者の指さきとも間接的な接触をしないですむ。本の表紙から人の趣味を測ろうとする痴漢もこれで退治できる。ところが今度は自分で本が見つけにくい。裸のまま本を並べると、溶けて肌色の柱に変わってしまう。だるま落としでは実際の木がくり抜けないように、特定の一冊を探すとなると、のこを引いて柱を倒し、さらに輪切りにするような手間がかかる。それでも他人の金玉をなでるよかマシである。

世の中には、切った爪をビン詰めにしたり、ほじり出した鼻くそをプラケースに保管したり、あるいはもっとおぞましいものを溜めて、夜な夜な押入れからとり出してうっとりと眺める乙な趣味がある。僕も先にカバーを捨てると言ったが、実はビニール袋に入れて取ってあるのだ。

B1サイズのポスター額が余っていたので、カバーを切り貼りしてコラージュを作ろうと思う。僕の人生をうら返しにしたような空っぽの部屋のなかに、窓より高級な換気口を設けるのだ。

 

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(作業風景。『NHK新日本紀行』全5巻が、のり付けしたカバーをおさえる重しとして大活躍です。)

 

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完成品がこちら

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人が見ておもしろいのか分からないが、自分では好物しかないレストランのメニューを見るようでワクワクする。デタラメな書き方で、お好み焼きのうえにうどんが重なったり、カレーのなかにアイスクリームが混ぜてあったりして、妙に想像をかき立てるところがある。油断してはいけない。見ようによっては、これは他人の陰嚢を30きれ余り、目いっぱい伸ばして貼りつけた人体標本でもある。おっさんのふぐりを頭上に見て寝る。下をみれば自分にもまたおっさんのふぐりがついている。ここがオセロの盤上だったら…。怖くて寝つけない日が続く。

 

 

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

散髪代はまともさの維持費

 

髪を切られているあいだの沈黙が苦手だ。人嫌い、会話ベタ、照れ、恐れのせい。しかし、もとをたどればすべて思い込みが原因だ。気の利いた雑談をせねばとあせるのは客の僕だけで、理容師のほうでは、マヨネーズが切れてたな仕事終わりに買って帰ろう、次の休みに新しい時計を見に行こう、闘鶏でニワトリの足をみて賭ける奴がいるがありゃ素人だなプロは首をみる、くらいのことしか考えていない。

「どういう感じにします?」
世紀の難問である。もともとしたい髪型がない。男も中学生になればみな色気づき、こぞって整髪料をつけ始めるが、当時から便所の鏡にアホ面さげて立ちならび、まるで精密機械の配線を入れ替えるみたいに髪を右へ左へいじくりまわす連中をみると「お前らの前髪が今より1センチ横にずれたら、なにか世界が変わるのか?」と腹を立てていた。僕がつよい癖毛でワックスを受けつけなかったことの恨みである。髪型にこだわるのは低俗な人間だ。しょせん物事のごく表層にしか興味を持てないでいる、あわれな文化的盲人の福笑いなのさ、と本気で考えた。

セルフカット用のハサミセットを買って、自分で髪を切り始めた。鏡も見ないで、すきバサミを頭に突っ込みザクザクと切り落としていく。適当にやっても、全体のボリュームが下がるだけで髪型は変化しない。直毛のセルフカットが、きれいに掃かれた枯山水の横断なら、縮毛のそれは裏山の沢登りだ。散らばる石をみても、それが人の跡形か、自然のしわざかわからない。

しかしプロはわかる。ある日、自分で切るのが面倒になって床屋へ行ったら、店員が毛先をつまんで、
「なんやコレ。めちゃくちゃやな。あんた自分で切ったやろ?」
と鼻で笑った。僕は微苦笑で、
「わかります?」
と調子を合わせたが、かなり動揺した。職業病がある。服屋は服を見、靴屋は靴を見る。僕はいままですれ違う美容関係者から「うわっ、イヤなものを見た。よくあんな頭で出歩けるなあ」と半ばあざけり、半ばあわれみの目で見られていたのだ。プロでなくとも鋭い奴なら、髪型のおかしさに気付いていた筈である。みんな言わないだけで、心ではヘンな頭だと思っていたんだ。妄想と疑心が、1秒間に地球7週半の速さでひろがり、それ以来、僕は自分で髪を切るのをやめた。よくオシャレになれない人が自嘲して、服屋に着ていく服がないと言う。セルフカットだって同じことだ。手を出したが最後、床屋にいく髪型がなくなる。

手持ちのメートル原器は狂っている。いくら押し当てても、自分のおかしさは測れない。昨日の異常も今日の標準となり、質の悪い伝言のように中身が荒れてゆく。危険な状況を「気違いに刃物」と言うが、もとは素人の刃物だったものがゆくゆく狂気を帯びるのだ。人は人のハサミを信用せねば、へその緒も断ち切れないというのに。

 

 

ミチオ君のふるほん拝見

 

古本から遠ざかっていた。未読本に手をつけずに新しいのを買ってどうする、とまともに考えたおかげである。しかし人間にとって正常な思考とは、波打ちぎわに彫りつけた砂の落書きだ。風と波、潮の満ち引き、そのときの微妙な自然の調子にかき消される。英語で「ばかげた」をlunaticと言うのは、むかし月(luna)が人間を狂気にみちびくと考えたからである。今でも人は、月収、月賦、月曜日、逆さ海月、花村萬月、お好み焼きの風月と、月に心狂わされている。

休日の予定はない。もとから予定は嫌いである。予定日に、予想通りの大きさで、予測された性別で産まれてきた。この世にデビューする前から予定づくしだ。これ以上、予(あらかじめ)がつくような、未来完了形の行動はしたくない。

非建設的な奴だと思うかもしれないが、ものごとにたいして前向きであるとは、時間の直線に立つとき、死に向かって前向きであるということだ。電車が到着する直前、ホームから人が飛び降りたら、とっさに顔を背けるだろう。未来について後ろ向きであるとは、死を予見する動物として当然の態度ではないか。

ポジティブを売りにする芸能人、スポーツ選手、明るいだけが取り柄の周囲の人間を思い浮かべると、前向きが恐怖の不感症であることがよく分かる。人間的というより動物的なのである。ネガティブこそ人間の証明だ。そんな気持ちで予定の空白と戦ったのだが、行動がなければ後ろ向きになって振りかえる思い出もできないという矛盾にぶち当たり、朝からずっと手持ちぶさたで、部屋をぐるぐる行ったり来たり、自分こそが動物園の檻をうろつくゴリラなのだと気がついて、急いで書店にほんものの人間証明書をとりに行く。

 

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財布に850円しかなかったので、100円の本を8冊買うことにした。会計で864円と表示されたときにはじめて消費税が8%だったことを思い出す。

足りない。もういちど数え直したら、なにか間違いが起きるかもしれない。玉入れの結果発表のつもりで、100円玉から1枚ずつトレイに並べていく。800円を吐き出すと、残金が支払額に満たないことはすぐにわかった。でも今さらやめられない。全部出したあとから「あれ、おかしいな。足りないみたいです」とひと芝居うって帰ろう。10円玉を並べ始める。生え際から汗の玉がわく。最後の1枚だ。気付くならこの瞬間じゃないのか? 出し切るとかえって不自然になる、しかし――財布に指を突っ込んだまま固まっていると、みかねた店員が「ポイント分お値引きできますが」と救いの手を差し伸べる。ここでポイントが足りないのが、持っているブロガー、売れる書き手だ。結果は見てのとおりである。

 

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漫画家・東海林さだおのエッセイ集『ショージ君のにっぽん拝見』は、半年前から探していた本だ。数学者・岡潔とのやりとりを綴った一篇がどうやら名作らしいのである。「東海林さだお氏の文章は笑いの作法を考える絶好のテキスト。すべての技が含まれ、その意味でデパートにたとえてお勧めする次第である。買い物だって初心者はまずデパートへ行くではないか」阿刀田高『ユーモア革命』と言われたら、一度ひやかしてみたくなる。北野武によると「映画は、何十万というコマのなかの任意の1コマが美しいのが理想的」らしいが、ためしに本書をパラパラとめくり、開いたページの一文を書き抜いてみよう。えいっ、ここだ。237ページ。「つまり夫婦は、夜になればみんなやるのである。やってはいるけど、昼まは、みんなやってないような顔をしているのである」。うむ、名画である。

Amazonプライム太田和彦の番組「日本百名居酒屋」を見て、彼の本を買ってみようと思った。まちの小汚い居酒屋で「ニシンの煮付けかぁ。おいしそうだなぁ」とつぶやきながら、ひとり酒をやる。その姿をみながら、僕もご飯を食べる。おっさんの食事を見ておっさんが食事をする、というこの文を読みながら今まさに食事するおっさんもいたりして、世の中いよいよ食事するおっさんだらけである。本職はグラフィックデザインと言うがよく知らない。ただ「男が一人になって何をするかといえば、それは酒を飲むのが一番ふさわしい。居酒屋の片隅で、何も考えず一人、盃を傾けぼんやりする。人嫌いで山に登るのとは違い、あくまで市井の、他人のうず巻く町の中にあって孤独を愉しむのである」『超・居酒屋入門』という一文から、同じ孤独を愛する人なのだとわかる。

 

最後は『方舟さくら丸』。

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目次をみて「これが安部公房に期待する安部公房だ」と読む前から嬉しくなった。

 

そして箱うらの写真、 

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でかいPCを打つ姿にグッと来る。

ところで僕はデジタル原産の文章が嫌いである。語と語、文と文のつながりに無神経を感じる。文字を書くという筋肉の運動にあるはずの汗のにおいがない。紙のうえでは手の労働のものが、PC上では頭の労働だ。そして凡人の頭は、身体よりもあたまが悪いものである。

小説中どの文章を読んでも、背後にカチカチとキーボードを叩く音が聞こえる。打たれた文字のくせに不思議と妙な味わいがあるのだ。持論が崩れた。安部公房の頭脳のせい? いや、きっと巨大な機械のせいだ。現代人からみれば、こんなもの筆と和紙じゃないか。