おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

ババア記

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肺炎で入院したおばあちゃんが病院を出て家に来た。88歳の独居老人。ふだんは"市場"(スーパーをそう言う)までシルバーカーを押して歩き、買い物から炊事洗濯までひとりでこなしている。いい意味でしぶといババアだ。調子が戻るまで祖母の長女が、つまり僕の母が面倒をみることになった。

僕のパジャマをみて「きれいな柄やねえ、なんて書いてあるの?」と訊くから「これはメーカーのロゴで…」と答える、このやりとりを毎朝のようにやる。きのうの会話も覚えられないボケっぷりにはゾッとするが、つまらないことをいちいち覚え過ぎていることが僕らの不幸のもとではないか、とも思う。

よみがえるのはいつだってイヤな記憶だ。たとえば「面接」の一語をみると、目の前に会議室があらわれる。3着のスーツが、僕を睨んでいる。「働きたくない」という本音を隠して、ペラペラと心ない志望動機を語る。そのときのあせりが、欺瞞が、スーツのしわが、革靴が、天井が、走るペンが、浮かない顔が、鼻の脂が、頬のほくろが、初体験のつやで迫る。

そのたびに「うーわ」「しにたい」「逆にしねばいいのに」と叫んで目の前の映像を払う。ほんとうは家族に聞かれてもいいように「う」「し」の一語で済ますのだが、この呪文を一度「ちんこ」に変えことがある。バカらしくなって発作も消えるだろうと思ったのである。作戦はうまくいった。しかしある日、シャワー中に油断して、口からちんこがそのまますべり出た。風呂場は拡声器だ。家中に僕のちんこがいき届いたろう。それはあなた方の空耳だったのだと言わんばかりの顔で浴室を出たが、家族はどう思ってるかしらん。

 

 

 

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旧紙幣で小遣いをもらった。押し入れの金だろうか。夏目漱石のほうが好きだからうれしい。

漱石に睨まれながらブログを書くのはイヤなもんだ。テスト中に答案用紙をのぞきこむ先生が嫌いだった。ああいう奴がきっと女子トイレにカメラを置くのだろう。「文章を学ばうとする人々は、文章を稽古すると同時に、先づ思想を養ふことが大切である」。お前の思想は下品だ。下品というより欠品だ。タコ糸のないタコのように地面をのたうち回っている。わかるかこのタコ、と言われているような気がする。しかし漱石クン、これが君の時代になかったブログというものの書き方なんだよ、と開き直ってみたい。

 

 

ハムレットって朝食のメニューか

 

みんな戯曲は読む?

僕は読まない。つまらなそうだから。短いセリフを足ばやに改行した半分白紙の本に、小説と同じ金を払うのが嫌だから。高校の文化祭で、セリフが2つしかない市民Cを演じたときに、演出係をつとめるクラスでは影のうすい、普段いるかどうかもわからないような女子に「演技どうにかならないの? 感情がこもってない。なにも伝わってこない」と赤ペンで頭を叩かれて、二度演劇などしてやるものか、と思ったから。

読むのがダメなら観るのもダメで、劇団四季の「はだかの王様」を観たときは、大声で喋る役者が吐くつばばかり見ていた。白い石柱のようなライトが役者の顔に当たり、ごく微細な唾液ひと粒ひと粒に光る尾がついて、まるで口先で小さなしだれ柳の花火が音もなく炸裂したかのように見えるのを「うわ、きったねー」と思いながら眺めていたのである。おととし井上ひさしが主宰するこまつ座の「國語元年」を観たとき、前後左右にみっちり人が詰まった客席で「3時間の公演中、トイレにいきたくなったどうしよう。腰をかがめて行き50、帰り50の他人の膝頭を尻でなでなで進むなんて無理だ」と思い、膀胱に黒い液体がうずまいて、物語に集中できなかった。それでも結末は憶えている。主演の八嶋智人が舞台中央に立ち、スポットライトを浴び、まさにこれから劇を締める最後の決めゼリフを言おうと息を吸い込んだ瞬間「ピロリロリロリーン」と客席でひと足先に緊張を破る、やる気ない着信音が流れた。僕はあまりの間の悪さに失笑し、もし自分の電話だったら…と思うといっせいに振り向く500人の目線にゾッとした。同時にどんな傑作劇も電話一本で殺せるものだと、舞台芸術のはかなさを知ったのである。

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前に買った古本のうち、井上ひさし『ことばを読む』がよかった。朝日新聞の書評連載を1冊にまとめた本だ。書評といっても知られすぎた古典、売れすぎたベストセラー、偏りすぎた専門書の紹介は白ける。深夜のテレビ番組みたいに、ほんとうは数十万の視聴者がいても「これをみてるのは俺だけだ」と思えるような本を教えてほしい。それには、本の重みで床が抜ける、を冗談ではなく実際に引き起こした破壊的読書家が適任である。

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大岡昇平ハムレット日記』について、

「この小説は25年前(※1955)に着手され、両三度にわたり中断をはさみ、このほど(※1980)ようやく完成された……小田島訳の『ハムレット』を読んでこの小説を開けば、おもしろさは倍加しよう」

と書いてあり、早速2冊とも手に入れた。当初は『ハムレット日記』の下準備で『ハムレット』を読み始めたのに、こっちのほうが面白くなってしまい、ほかのシェイクスピアの戯曲にもどんどん手が伸びていく。

 

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リア王』には、しおり代わりに、誰かさんが15年前に観た公演のチケットが挟み込んであった。この人はトイレを我慢できたろうか。

 

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散文では会話より地の文に圧倒されたいという願望がある。喜怒哀楽、慮嘆変執、姚佚啓態、みたいな意味のわからん漢語のみだれ打ちにあうとドキドキする。なかでも僕が好きなのは、幸田露伴が書いた、メタルバンドのギターソロみたいな文章だ。ことばの意味はいったん置いて、リズムを味わってほしい。  

  • 一切の物皆然る以上は、人々豈能く理範数疇を脱せんやである。人もまた黄玉の如く、鶏血石の如く、松樹の如く、紅海の如くである。特に人は黄玉鶏血石に比しては生命あり、松樹に比しては感情あり意志あり、紅海に比しては万象に応酬し三世に交錯するの関係あり、その自体より他体に及ぼし、他体より自体に及ぼし、自心より他心に及ぼし、他心より自心に及ぼし、自体より他心に及ぼし、他心より自体に及ぼし、自心より自体に及ぼし、自体より自心に及ぼし、自心より他体に及ぼし、他体より自心に及ぼし、自体より自体に及ぼし、自心より自心に及ぼす、その影響の紛糾錯落して多様多状なる、殆ど百千万億張の密羅繁網を交錯し上下に舗陳したるが如くなれば、その日に変じ月に変じ年に変じて而して生より死に之くの間、同一人といえどもその変化もまた急に、また劇しく、また大に、また多き訳である。
    「進潮退潮」

150年前に生まれた人間にしてこのグルーヴ感。「自体より他体…」のくだりは「自他の心体が互いに影響し合い」の一語で済むのに、わざわざ確率問題を樹形図で解くように、いちいちの関係を列挙してみせる。憎らしいほどの文才である。文章ならなんでも短いほうがいいと思っている自称専門家に見せてやりたい。ニンジンは短冊切りしか認めないという偏屈な姿勢が、料理の貧困をうむ。

戯曲は散文にくらべるとスカスカでつまらない、と昨日の僕なら書いただろうが、戯曲1年生の今そんな口は叩けない。おもしろい。『ハムレット』を読んで、すべての演劇はこれを目指しているか、ここから離れようとしているかのいずれかだと思った。劇中でまたひとつ劇が演じられる劇中劇の構造など、吉本新喜劇で経営難のボロ食堂が、借金とりのヤクザ、買収にきた大企業の社長を追い払うために使う小芝居と一緒じゃないか、と妙に感動した。

こりゃ、いちから戯曲を読み直さねば、と思い、ふたたび井上ひさしに還って『全芝居』を買う。

 

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1冊5000円でシリーズ全7作ある。殺す気だ。毎月1冊ずつ集めよう。本棚が一列ずらっとこの本の背で埋まるところを想像すると、揃える前から嬉しくなってくる。

 

 

肉と妄想

 

ふるさと納税の返礼品で、黒毛和牛が届いた。

f:id:gmor:20170602204220j:image味より気になるのが、精肉店の名刺である。

石丸元章。そう聞くと、

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同姓同名の、最高にクールなドラッグ・ライターしか思い浮かばない。起きてすぐ名刺を見つけて「へえ石丸さん肉屋やってたんだ」と素直に思った。2杯目のコーヒーで、そんなわけないと気づく。

 

石丸元章をはじめて読んだ日の記事 

 

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新刊が4月に出た。

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覚醒剤と妄想』である。

ディズニーランドへ入場するのに、神経のコンドームがいると思って、同じコア新書から出ている高橋ヨシキの『暗黒ディズニー入門』を買ったとき、たまたまとなりにあったのが、この本だった。

死ぬまで忘れないだろう一節がある。

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 取材ノートを読み返すと、ときに「店で1本を買い、その場で吸って歌舞伎町の路上で激しく嘔吐した」などというヤバイ記述も散見される。ああ、あれか…と回想するが、あれは実にヤバい現場だった。路地裏で、ショップの店員に「これが売れ筋ですね」とすすめられるままに一本のハーブを吸ったところ、うううぅ! すぐに目が回り出し、アスファルトがうねり始めて、真っ直ぐに歩くことができなくなった。
 チューブみたいなんだ! わかるか、サーフィンで大きな波がチューブみたいに丸く空洞になって、そのなかを人間がボードに立ってすべっていくシーンがあるだろう。あれなんだ! 歌舞伎町の路地の路面が液状に溶けちゃって、波みたいになったアスファルトのチューブを、ゲロを吐きながら自分がのた打ちまわっている――。
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アスファルトのチューブをゲロまみれで滑走するイメージは(それは彼にとってイメージではなく現実の出来事だが、しかしそれゆえに)ブルトン中島らもクリストファー・ノーランにだって描けそうにない。ただの薬物中毒者にもムリだ。まぼろしの翻訳にはわざがいる。頭にジャンキーとルポライターと詩人が共生する石丸にしか書けない名文だ。

 

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ふた月前からスーパーで品出しの早朝バイトを始めた。僕はバイト先でいじめられている。そう思わざるをえないことが今朝あった。

2日ぶりに出勤したら、ロッカーに入れた私物がごっそり無くなっていた。大した物はない。上下の制服、ゴムグリップの作業手袋、マスク、Bicのボールペン、Rollbahnのメモ帳。制服は会社支給のものだし、ボールペンはいつか泊まったビジネスホテルから借りたものだ。500円でお釣りがくる被害である。それだけに嫌がらせとしては手が込んでいる。高価なものを盗むならまだ健全だ。金にもならぬ所持品を盗ることは、相手をいやな気持ちにさせようとする純粋な悪意に基づいている。

となりで着替える40代の同僚に、うろたえる姿を見せまいと、もとからロッカーは空だったのだとでも言うように何食わぬでカバンを突っ込んでやった。もしこの男が首謀者なら(仲間はひとりとは限らない)、もっとも間近で見たいのは、悪意に触れた瞬間の僕の沈んだ表情だろう。むざむざ甘い果実を差し出してたまるものか。

おっさんはいつもの調子で、
「おはよう、今日もがんばろかあ」と話す。
僕も笑顔で応じる。しかし裏では、男の目に敵意が隠れていやしないかと、なべ底の具のおたまですくい上げるときのように、黒目のなかへ疑いのまなざしをグイグイねじ込んでやった。状況は黒とも白とも見分けがつかない完全な灰色一色だ。すこしでも尻尾を出したら、誰かれ構わず問い詰めてやる。覚悟をきめて仕事場に出た。

メモ帳を失ったことが最大の苦痛だった。仕事用なら見られても平気だが、なかにはこんなことが書いてある。

  • 18:36 ドラッグストア
    『超吸収』と書かれたナプキンを6パック、カートの上下に積み込んでレジへ向かう70代のおばあさん。まっ白な敷布のうえにいったい何が吸収されるのか想像すると夜も眠れない。

ネタ帳といえば大げさだが、日々でっくわした印象的なシーンを書き溜めておくノートだ。見せ物じゃないから、口にできない願いや呪いも書いてある。それが、僕の休みのあいだに、従業員全員にまわし読みされているかもしれないと思うと、ムカデが胃腸の壁をよじのぼる。僕だって手帳を拾えば中を見る。パンツの柄を知るより、メモ書きを読むほうが、他人の心臓に触れるようでおもしろい。それが、恥をかかせてやりたい相手のものならなおさらである。

現場では十数名のスタッフが働いている。みんな口々に「おはよう」と挨拶する内心で、きたきた変態だ、老婆の萎縮したペンネからエメラルドグリーンの経血がにっと糸を引いて垂れるところを想像しながらマスを掻く変態男がやってきた、とほくそ笑んでいるわけである。パートのおばちゃんが輪になって「見た? ほんと気味わるいわね。私たちもいやらしい目で見られてたのかしら。気をつけなくっちゃ」と胸を隠すしぐさをしてみせる。

その日の仕事は豚肉の陳列だった。小分けにされたかたロース、ロース、ばら、小間切れのパックを、きれいな3段積みにしてショーケースに並べていく。毎日これだけ輪切りにされてよく絶滅しないものだな、と感心する。「おい見ろよ、あんな奴のことだから、きっとスライスされた豚にも欲情しているのさ。ビニールに押しつけられてはち切れんばかりの姿態をさらすピンク色の肉片を見ると、ウズウズしてたまらないといったご様子だ。いまにもパックを破いて頬ずりしそうな勢いじゃないか」と噂する声が、野菜売り場の向こうから、ドリンクコーナーの裏から聞こえてくる。犯人は一人でも、秘密を共有したら、みんな共犯だ。手が痛む。手袋がないせいだ。ダンボールも、プラスチックのカーゴも、50や60という数を扱うと、素手にはこたえる。犯人も頭がいい。手袋をひとつで、心身を傷つけられる。『ハムレット』に「塵一つでも目は痛む、心の痛みも同じだ」というセリフがあったことを思い出した。指にすり傷の白線がつくたび、心の血がにじむ。

帰ろうと思ったが、手を動かすうちに頭に昇った血が降りてきた。論理で考えてみる。ロッカーには錠がついている。開錠できるのは、鍵を持つ僕と事務所にいる総務部の社員だけだ。彼らとは働く時間と仕事場が違うから、ふだん顔も合わさない。僕をいじめてやろうと思うほど、僕をうらむ機会もないわけである。しかし荷物は消えた。そそっかしい社員が、退職した人のロッカーと間違えて僕のロッカーを整理した可能性がある。しかしこれには、撤去する一週間前から、その通知をロッカーに貼り出す決まりがある。僕のロッカーには、紙も紙を貼ったような跡もなかった。

いじめか手違いかを判断するためには、3日前の退勤時にちゃんとロッカーに施錠して帰ったかどうかが文字どおり鍵を握っている。そして僕にはその自信がない。前にうっかり鍵を持ってくるのを忘れたとき、ダメもとで手をかけたら扉が開いたことがある。たまたま鍵をかけ忘れていたのだ。それから味をしめて、鍵を忘れたときのために施錠しないで帰るようになった。犯人はこの習慣を知っていたのだ。警察を呼んで大騒ぎしてやろうとも思ったが、鍵のし忘れを指摘されたら立場が悪くなると思ってやめた。ことの真相は、仕事終わりに事務所に寄って聞き出すほかない。これで社員が首を横に振れば、犯人はいまこの仕事場にいる仲間(そう呼ぶのもいとわしい人間)の誰かということになる。

終業までの4時間、従業員の笑いのしたに隠された侮蔑、親しみの裏に重ねた拒絶に耐え、くりかえし剥がすガムテープの束、破りつぶすダンボールの山、つかむアルミパッケージのするどい断面、押し込む冷凍商品の灼けつくような霜柱と、素手で闘いづつけた。噂では朝型生活が人の心と身体を健康にするという。午前5時から始まる仕事だ。遅くとも4時半までには目を覚ます朝型人間が集まっている。しかしどうだ。気に入らない新人がやってきたら、裏で結託して、卑劣な手口で追い出そうとする陰湿な奴らばかりじゃないか。暗闇をひっくり返す朝焼けの力も、人の心の陰までは払えない。

敵の思惑どおりにいくのは癪だが、今日でバイトを辞めて、また明け方に寝て夕方に起きるニート生活に戻ろうと思った。終業時刻と同時に事務所へ入る。総務部の女性社員に辞めると伝える。そうだその前に一応ロッカーのことを聞いておこうと思って尋ねると、女は眠そうに記憶の鉱脈を掘り進め、とつぜん地雷を叩いたように、はっとしてその場で凍りついてしまった。退職者のロッカーを整理するはずが、僕のロッカーに間違えて告知の張り紙をし、その張り紙も本来は一週間掲示するはずのものが、どうせ見ないだろうと思って、僕が休んだ2日のうちに取り外し、中身を処分してしまったというのだ。手続き上のミスに偶然が重なっていじめが起きた。ロッカーはちゃんと施錠されていたそうだ。家に帰るとメモ帳は机の上にあった。

すべては僕の妄想だったのである。